脱・微積物理のすゝめ - 何故高校物理では微積を使わないのか
今日は真面目な文を書きたいと思います。
物理を学んでいる人には是非読んでもらいたいです。
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よく物理は微積だ。という声が聞こえる。
その通りである。
ただしそれは現代物理学において、そして大学物理においての話である。
高校物理では範囲外である。
そしてまた、高校物理ではセンター試験に見られるように、物理としての物体の定性的な振舞いを理解する学問である。
それを微積などという「便利な」道具を用いる必要性など皆無なのだ。
微積という概念はもちろん物理学の発展に寄与していることは誰が見ても明らかである。
しかしながら、高校物理という範囲においては度の過ぎた道具でしかない。
小学生が面積を用いるのに微積を使うだろうか。
例えば、三角形の面積公式S=1/2*bh(b=底辺,h=高さ)はお分かりだろう。
これを小学生に説明するのに微積を使うだろうか。
そんなことはない。
「同じ三角形を二つ並べて、平行四辺形を作って、その面積を2で割るんだよ。」
これで十分である。
微積を使って教えるなんて愚の骨頂、といわれても仕方がない。
つまり私が言いたいのは、高校物理の内容は微積を使うに値しないということである。
また、大学入試自体微積は範囲外であるので、全ての大学の物理の問題は華麗に、意図的に微積を用いなくても良いように作ってある。
それなのに何故微積を使うのか。
まずは現象の定性的(見ただけで分かる)な部分に目を向けるべきではないのか。
球を鉛直自由落下させる問題では微積は使わないのに、何故単振動では多くの人が微積を使うのか。
それは説明するのは容易い。
鉛直自由落下の場合は、もちろんほとんどの受験生が見たことのある現象であり、現象の振舞いがイメージできるからだ。
そして対照的に、単振動を実際にイメージできないことに悩み、微積に走ってしまう。
それを克服するためには、単振動のイメージも頭の中にインプットする必要がある。
単振動は等速円運動の射影運動である。
これはニュートンが思いついたものだ。
ニュートンはこのときにはまだ微積という概念を使っていない。
それにもかかわらず、ニュートンは単振動を全て解析して見せた。
もちろんイメージを出発点にして。
万有引力も同様である。
このように、現在の高校物理の範囲にあるほとんどの現象は、先人たちが微積を使わないで解析したものだ。
微積は数学的な証明にとどまる。
そしてそのイメージは多くの人が理解するのを助けた。
つまり、先人達が残した物理の視覚的イメージを用いる方法が一番手っ取り早いのである。
ここで注意しておきたいのが、まず実験で得られた式と微積を用いて得られた式は覚えねばならない。
しかしその覚え方は、例えば電位Vというのは+1[C]の持つ位置エネルギーというように記号の定義を覚え、その式は何について表しているのかということを理解しなければならない。
また、巷で信仰されている「直列・並列の公式」のように、キルヒホッフの第二法則と電化保存則を用いた計算式は覚える必要がない。
逆に害を及ぼすだけであろう。
そのような特殊な状態でしか使えないものを覚えても仕方がないのだ。
物理とはどのような状態でも定性的にその後の状態を導き出すための学問なのだから。
何度も言うように、高校物理の範囲において微積は不必要なのである。
そしてまた、微積は刻一刻を計測するツールでもある。
それを逆手にとって、大学入試では刻一刻というのは東大などを除いてでないといってもよい。
(東大の場合はそういう問題があったが、もちろん微積を使わないで解ける。それにより範囲を逸脱していないことを巧妙にアピールするのである。)
例えば、コンデンサーの充電の問題で、「スイッチを入れた瞬間」と「スイッチを入れて十分時間が経過した後」しかでないのはそのためである。
物理を学習する際には、是非式の区別を心がけ、定義というものに細心の注意を払ってほしい。